report
ゴミから考える

木の個体差に従う技術=伝統型の技術を選択する理由はいくつかありますが、構造的に選択する理由は一つです。
それはこのような構法が木という素材の特長を最も生かそうとしてきたものであり、木の欠点をも見越してその中に含みこむことを目指していた構法だと考えられるからです。
木造を構造的に選択することは必然的にそのような構法の選択を結論として持つことになるというのが、構造的な選択の唯一の理由です。

では、構造的な選択以外の理由として、どのようなことが考えられるのでしょうか。
木造の技術がどのように発達してきたのかと考えると、その技術の内部だけでの発達は小さなものだった思えます。
技術を大きく変える要因は常に外部から、つまり社会的な要請からやってきます。
木造住宅の技術や材料をここ数十年間で大きく変えたのが経済的な要請であったことは疑いえません。
経済的合理性と呼ばれる要請が伝統型の構法とは違う構法を造りだしてきました。
短い工期、低コスト、を最大の目的として工場生産を基本にした構法が開発されてきました。
それらがどのようなものであったか詳しく述べる余裕はありませんが、その結果がどのような問題を作り出してきたかを考えることは大切なことだと思っています。
その問題の一つがゴミです。

現在、解体された住宅はゴミとして処分されます。
産業廃棄物の中で建設系のゴミは20%を占めて、年間1億トンにもなります。
しかしゴミとして扱われるようになったのはそんな昔の話ではありません。
全国解体工事業団体連合会の編集の「木造建築物解体工事の現場」によると、昭和50年(1975年)頃までは木造住宅のこわしを専門とする「こわし屋」がいて、手壊しで出てきた古材を販売する「古木屋(ふるきや)」が存在していたということです。
こわし屋は、建築工程を正反対の順序で行う専門の技術者で、天井板まで1枚1枚はずして1人前とされて、それら解体材は、古木屋でほとんど売られて再利用されていたようです。
少なくとも1970年頃までは木造住宅をこわす専門の技術があって、住宅は解体されてからも再利用されたためにゴミではなかったのです。
現在とのこの大きな違いを知って、私は、ゴミについて考えるようになったのですが、しばらくして造る技術は、こわす技術、すてる技術と同時に存在しなければならないということに気がつきました。
そしてさらに造る技術はこわす技術をその中に含みこんでいなければならなかったのだと気がつきました。
それは人間が何かを造る技術の原則だったのではないでしょうか。

伝統型の構法を極めて意識的に選択する理由は、こわすことができ、捨てることができる構法であるということです。
そのような視点から伝統構法の継ぎ手や仕口の技術を眺めれば実に巧妙なこわす技術であり、こわした材を再利用する技術であったことに思い当たります。

では何故ゴミにこだわり、何故伝統型の技術がそこで必要だと考えるのか、幾つかデータを上げてみます。

■1.日本の住宅着工戸数の推移
1960年から2005年までの着工戸数の推移のグラフです。
日本の住宅建設は1965年頃から増え始めて1973年には全体で190万戸、木造住宅で112万戸造られました。

日本の住宅着工戸数の推移

■2.世界の主要国の住宅建設戸数の推移
世界の住宅建設の状況を見てみると、日本とアメリカが飛びぬけて多くの住宅を造ってきたことがよく分かります。
ヨーロッパの国々は年間30〜40万戸で推移しています。
何故このように多くの住宅を造らなければいけないのでしょうか。

世界の主要国の住宅建設戸数の推移

■3.建築時期別住宅ストックの国際比
現存する住宅がいつ造られたのかを表すグラフです。
日本の住宅はほぼ75%が1970年以降に建てられたものです。
他の国と比べると、新しい住宅がいかに多いのかよくわかります。

建築時期別住宅ストックの国際比

■4.世界の住宅ストック数と新築数の比較
その年の住宅の建設戸数で存在する住宅数を割った数字です。
計算した年にバラつきがありますが、日本の1992年の数値は30で、住宅が建て替えられる年数の目安になる数字です。
図−1から図−4まで見比べると、日本が住宅のスクラップ&ビルドを繰り返している国であることがよく分かります。

世界の住宅ストック数と新築数の比較

■5.産業廃棄物の排出量の推移
日本が年間に発生する産業廃棄物の量は約4億トンです。
住宅の解体によって発生するゴミや建設現場から出るゴミは産業廃棄物です。

産業廃棄物の排出量の推移

■6.産業廃棄物の業種別総排出量
建設系の廃棄物は全体の約20%です。

産業廃棄物の排出量の推移

■7.最終処分場の残余容量及び残余年数の推移・最終処分場の新規許可件数の推移
最終処分場の残余容量の推移をみると、毎年同じような数字が並びます。
年間に発生する産業廃棄物の量がほぼ同じで、最終処分される量も10%前後と同じ場合には、毎年発生する最終処分量と同じだけの処分場を作りつづけていなければ、このような結果にはなりません。

産業廃棄物の排出量の推移


これらのデータは、私たちは大量の住宅を壊しては新たに造り続けながら、一方で日本の国土をゴミの山に作り変えながら、生存を続けているという構図が浮かび上がります。

このような数字を見渡してみると、伝統構法とそれが成り立っていた環境の見事さに驚きます。
経済的合理性とは全く質の違う合理性をそこに見ることができます。
徹底的に捨てるものを出さない仕組みが、社会のシステムとして成り立っていた合理性です。

ゴミ問題の本質は、被害者は存在しないということです。どのような住宅を造り、どのように住み続けてゆくのか、という問いが一人一人の選択の問題として、現在われわれに重くのしかかっているのです。
それは造る側に立つ人間にも、どのような住宅を、どのように造り、どのように維持してゆくのか、という本質的な問いとして向けられていると思います。
私は造ることの合理性とは、今やこの地球上の環境をどのように維持してゆくのかという尺度でしか図ることはできないと考えていますが、その時、すでにそのような合理性を実現していた伝統構法に改めて学び、伝統型の構法として改良しながら使い続けてゆくという選択は大変大きな選択であると考えています。